内省の一葉をITのCanvasに貼る

はてなブログがブログとツイッターのミッシングリンクに面白い橋をかける気がしてそれを見届けたい仙台の石井です。

まず、20人に会う

人が日常付き合えるレベルで20人、
組織内で把握できる人数は100人、
記憶から呼び出せる人数は、クラスメート50×小中高12規模から見積もって、1000人。

そうざっくり仮定すると、「1コワーカー人」、「1コグニシャス人」、「1スクールデイズ人」。という人数感があるかと

石井私見です。

 

こんなことを昔書いたのですが、今もそう思います。人間が認知でき、すぐにザーッと回想できる人間の顔は、多分短い時間だと50人。あいまいな高速検索でも100。結構頑張って、一日中思い出しても1000に行けるかどうか。

サービスを立ち上げる、地域の人々を対象に何かする、商品の市場を見積もる、そういう時に、仮に「完璧コンピュータ」が存在して、商品のお客さん12,739人は、この人たちです!、とか示してくれて、その人たちに喜んでもらえるものを作れば、大成功の確約があるとしても、そんな人数は人間が認知できる数ではなく、せいぜい、「あーだいたいこの辺」って言ってしまうのは多くて、20人。結構緻密に「〇〇パターンの人」みたいな分け方をしても50で頭打ちになる(認知飽和、という人間の頭の特性が関係する)はず。

そう思うと、少しだけ母集団を多くしたうえで、その中の20人をつぶさに見ることができれば、「完璧コンピュータ」が教えてくれる将来のお客さんをみんな見た時と、人間はあんまり変わらない程度に、商品化の精度はあげられる。

実際は、20人の想定ターゲットに会っておく、なんてことは、ほとんどないし、20人にあった人は、かなり「語れる」。そこには、いくつかの人間の本質に迫る気づきも含まれていたりして話しだけでも面白い。

だから、思う。

 

厳選20人でなくてもいい。まず、20人に合おう。

何かを作る時に、迷うか、新しいアイデアが欲しいなら。

 

それじゃ、足りん、と、本当に言える資格のある人は、1憶二千万人の中に1,000人もいない。