内省の一葉をITのCanvasに貼る

はてなブログがブログとツイッターのミッシングリンクに面白い橋をかける気がしてそれを見届けたい仙台の石井です。

創流は、”道奨達” プラスα 

道を作るとは、不定形の行為の中に、

学びえる「型」見出し、具体的努力の仕方を創る事。

 

流れを創るとは、その道をゆくことの継続を奨励し、

人々を熟達に至らしめること。

 

技至りてなお育つは器。

助ける「型」は狭くなる。

 

究めた道の先というのは「山頂」ではない。

「旅立ちの地」である。

器が目指すはさらなる高み。

 

送り出すこともまた、創流の一部なり。

 

流れを出た”器”がまた、次の流れを作り、

小さな流れが、連なっていき、

開祖を離れた、真理に近い”道”ができる。

茶道・柔道、いずれも、開祖とされる人はあれど、

その人の開いた流れは、さまざまな、

新しい流派を生んだ。

その分派もふくめて層の厚い全体が

茶道・柔道、を形成している。

 

 

創流は、

”道奨達”(道を作り、熟達を奨励する)である。

 

そして、熟達者を流派の縛りから送りだし、

独立分派、新しい流派、対抗する技芸を生み出していく。

それらが、全体として「真理に近い”道”」を生み出す。

 

ゆえに、創流とは、”道奨達”。その言葉に続くべきは、

”至芸分道”であろう。