創流は、”道奨達” プラスα
道を作るとは、不定形の行為の中に、
学びえる「型」見出し、具体的努力の仕方を創る事。
流れを創るとは、その道をゆくことの継続を奨励し、
人々を熟達に至らしめること。
技至りてなお育つは器。
助ける「型」は狭くなる。
究めた道の先というのは「山頂」ではない。
「旅立ちの地」である。
器が目指すはさらなる高み。
送り出すこともまた、創流の一部なり。
流れを出た”器”がまた、次の流れを作り、
小さな流れが、連なっていき、
開祖を離れた、真理に近い”道”ができる。
茶道・柔道、いずれも、開祖とされる人はあれど、
その人の開いた流れは、さまざまな、
新しい流派を生んだ。
その分派もふくめて層の厚い全体が
茶道・柔道、を形成している。
創流は、
”道奨達”(道を作り、熟達を奨励する)である。
そして、熟達者を流派の縛りから送りだし、
独立分派、新しい流派、対抗する技芸を生み出していく。
それらが、全体として「真理に近い”道”」を生み出す。
ゆえに、創流とは、”道奨達”。その言葉に続くべきは、
”至芸分道”であろう。